想いで重いで

4代目

2010年07月07日 23:56

市民会館のあり方について、
最近イトーヨーカドーが今の場所を動かないことを表明したことで
ここにきてまた賛否両論ありますね。

『一体、新しい市民会館はどうなるの?』

長野を愛する方や
地元の建築家の方や
今の市政に反対している方や
門前の歴史を研究している方や
古いモノを大切にしようとしている方が

僕も含めて「心配している」ことは確かです。


でも、実は僕自身、
最近感じたのですが、
それよりももっと、もっと、もっと
古い建物が新しくなることについて



「心配で、残念で、寂しい」と感じている建物があることに気がつきました。


それは、僕も卒業し、子供も通ってる
長野市立城山小学校の体育館と南校舎の取り壊しと新築なんです。

【先日参観した音楽会より】


【先日参観した南校舎より】



壊すことに反対とか
新しい建物に反対とか
税金がどう使われてるとか
デザインがどうとか
構造がどうとか


そういう次元をとっくに超えて感じる、このむなしさ?寂しさ?悲しさ?


なんだろう?
ちょっとピッタリくる表現が見当たらなかったから、
ちょっと横に置いて過ごしていたんですが、


先日の音楽会で、あまりにも一生懸命な子供たちの歌声と歌う姿勢に
涙をこらえながら『フッ』と出てきた自分なりの答えがあります。



結局、その建物と一緒に過ごした時間や想い出がたくさんあればあるほど、
さよならはつらい、想いは重いということなんですね。



だから、僕にとっては、市民会館よりも、城山小学校のほうがもっとキツイ。



そういう解釈を今の市民会館にあてて考えてみると、
市民会館とともに過ごした時間が長い人の意見を聞いてみたくなりました。


『今の市民会館をどうすべきか?』
『新しい市民会館はどうあるべきか?』


意外と、
市民会館の職員さんだったり、
舞台美術の方だったり、
清掃のおばちゃんだったり、
毎月のように利用していたとある利用者だったり、


『その建物と共に過ごした時間の長い人の意見を反映させるなんていいんじゃない!』

『よっぽど、いい意見が聞ける!』


そう思ったのでした。


市民会館もここに来て、
ビアホールやワールドカップのパブリックビューイングなど
ステキな想い出づくりのニクイ企画や演出があっていいですね。



僕は意見を述べるよりも、建物との思い出づくりばかりです。




でもそれだけでは、
あまりにも自分勝手すぎますかね。




同じキモチかどうかわかりませんが、
同じことしている写真屋さんがいました。













 hakoyama.com






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